うさぎ うさぎ
なに見て はねる
十五夜 お月さま
見て はねる
中秋の名月のころ、うさぎの歌を思い出します。大人になって、はて、なにみて跳ねるか、十五夜お月さん見てないな、と思ったんです。日ごろから空を見上げて月を見るのですが、十五夜か否か、わかりません。なんだか、私は8月15日が中秋の名月って記憶があるのですが、夏真っ盛りですよね。みなさま、十五夜っていつだか、ご存知ですか?
中秋の名月はいつなのでしょう
中秋の名月は、旧暦の8月15日。旧暦では季節を、春は1・2・3月、夏は4・5・6月、秋は7・8・9月、冬は10・11・12二月ととらえ、その真ん中で「中秋=なかあき」と呼んだそう。太陰太陽暦で8月15日の夕方ころ出る月を「中秋の名月」とされたのです。
歴wikiのページでは、2017年の中秋の名月は10月4日。十五夜だからと言って満月とは限らないらしく、平均的には十五夜月が満月だそう。十五夜の前後の十四夜の月から十七夜の月までが満月ということもあるのです。暦には、満月がいつ、ということは書かれていないそうで、陰暦の月の周期で考えられ、私もそうですが、月の周期の約半分の15日あたりを満月とみていたようです。
ですから、十五夜といっても、満月とは限らず、旧暦の8月15日の「中秋の名月」を愛でているのですね。だから、私は現代歴の8月15日と混同していたのですね。
中秋の名月には、ススキ、おだんご?
お月見が庶民に広まったのは江戸時代になってから。お米の豊作を祈る為に行なわれていた説もありますが、中国には「望月」という月を眺める行事が古来よりあったそう。日本では、醍醐天皇の時、月見の宴を開いたという文献が残っているようです。たとえば、京都市西京区にある桂離宮の古書院には、月の鑑賞するために屋根が無い床だけの月見台が濡縁から張り出して設計されています。
江戸時代前期には芋煮を食べて夜遊びを、後期になると祭壇にお供え物として備えたという記述もあるそうです。面白いことに、8月15日にサトイモやイモの収穫祭が行われる地域が多かったようで、芋名月というネーミングも用いられたほど。8月15日にはサトイモを食べる習慣があったそう。
関東では「衣かつぎ」といって、蒸したサトイモの小芋を皮のまま蒸して皮を剥いて食べ、関西では煮っころがしやみそ煮、醤油煮にして供えていたんです。その名残が、お月見のお団子の形に出ているようで、関東と関西では異なるのです。関東は球状、下関民俗歳時記には、「里芋に似せ、先をとがらせるなり、しかも豆粉に砂糖を加へ、これを衣とし」と説明されています。そして、三方に盛ること各々12個、閏年の時には13個を盛る。まさに、中秋の名月が芋名月と呼ばれる所以ですね。
他にも、下関民俗歳時記には、「ススキを挟みてこれを供す」と記述があり、お団子のお供えにススキが供えられていたことがよくわかります。ススキの他にも秋の七草、収穫物色々とお供えしていたよう、なかには、その年の初収穫したもの、なんて記述もあり驚くばかりです。ね。中秋の名月のころは稲穂が実る前なので、豊作を願って、稲穂が豊かに実ってうなだれているような形状のススキを代わりに見立てたという説もあり、豊作を願う気持ちには変わりません。また、神が宿る神聖な場所にススキが生えているのも、災いから守ってくれる、という役割があったようですね。
まとめ
8月15日が「芋名月」と称されたことに、「豆名月」東北では「栗名月」というのもあると知りました。それは、旧暦の9月13日に芭蕉翁鄉土句集には、「うまい枝豆をそなえる豆名月になったこと」そして、「豆名月」は「後の月」など書かれています。豆名月は枝豆や栗など旬の味覚もお供えしたようです。
また、日本歲事辞典では、「東北地方から九州にまで分布するが、十五月見をしたら十三夜にも必ず月見をするものとされている。いって、月見の行事を行う。片見月は嫌われ、 8 月十五夜に十五夜を一般に芋名月と呼ぶのに対して、豆名月は…」などと説明されています。
幸の神と竜 古代が分る鍵という書籍には、父母で団子をこね、子宝を意味し、8月15日には、丸井お腹を祝い、豆名月には男枝つきの豆を供えると良縁にも恵まれるという。そして、一方の月見を省略すると、縁起が悪い、とも示されていました。
婚活されている方、両方お祝いしたほうが良いみたいですよ。