此れは祈りの所業であり、数人の男衆が鳴り物が入った歌や踊りということで、通常は新盆の家が対象になります。 そして、ついでに各地域ごとに又は、いわき地方全体として会場のホールでコンクールや大会などもも行われるばあいもあります。我が家の田舎、実家でも有る福島県いわき地方の独特のお祭り、イベントになり、1年の旧盆の時期に催されます。帰省時のお
歴史は?8月のいつ開催?
楽しみは地元の風物詩です。先ず私事になりますが私は首都圏の神奈川県内に住む者ですが、田舎であり実家は福島県の「いわき湯本」というところです。 従って、湯本には両親やご先祖様が眠る菩提寺参拝の折に、年に1から2度は田舎へ訪れます。 此の時に夏場の旧暦のお盆のシーズンになりますと、いわき名物の「いわき盆踊り」や「じゃんがら念仏踊り」というイ
ベントが有り、以前は折に触れて、学友たちと楽しんだものです。 そして、いわきのお土産として自宅や会社、付近の方々にお配りするのが「じゃんがら・自安我楽」という、いわき地方の名物の甘いお菓子なのです。いわき湯本をはじめ、周辺地方各地には古くから伝わる独特の伝統芸能である「じゃんがら念仏踊り」がありますが、其の姿や格好は、お揃いの浴衣姿に
ねじり鉢巻きの襷掛け、其れに足には白足袋を履いた姿の若い男衆が、手持ちの鐘と太鼓の音にあわせて、独特の歌を歌いながら踊りを加えて仏前に披露します。 太鼓や踊りの周期はである一流れが凡そ20分程度で、太鼓打ちの3人を中心に10人前後の男衆がダイナミックなリズムに併せて優雅に力強く踊ります。 踊り歌う場所は、その年の新盆の家の玄関前とか庭先、
其れに寺院の境内やお薬師さん、お不動さん、其れに観音堂などで繰り広げられます。又、お盆の同時期に此方はいわき盆踊りとは異なって、飽くまでも仏さんの供養のために行われるもので、此れは夏のイベントとして各会場や公民館などで行われますが、主体は飽くまでも昨年に亡くなった仏さん(いわき地方では新盆ともいう)を供養するのが本来の目的です。其の伝
承や謂れは、江戸時代の頃にいわき地方は不凶不作に見舞われたために、当時のいわき(磐城)藩の藩主である内藤氏が地元の窮状を慰めるために推奨して行わせたものとされております。 其れが、今現在に伝わっているとされ、いわき地方は夏(旧のお盆の時期)になると新盆先で祈りのために其の家の前で披露されるのが「じゃんがら踊り」だったのです。其の大本
の起源は、当時、浄土宗の高僧であった祐天上人という修行僧が当地のいわき市内の出身者でもあり、此の時にいわき地方の人のために念仏踊りを広めつつ有ったとされ、近所の村人達の浄土宗と同時に慰安と念仏の普及を兼ねて「南無阿弥陀仏」を唱えながら歌の節にあわせて踊りと共に唱えさせたのが始まりとする説もあるのです。同時期に行われる「いわき盆踊り」は
磐城地方独特の踊りで同じ時期に行われ、大勢の人手や露天商なども並びますが、此方の「じゃんがら念仏踊り」個々の小さなイベントで、個人宅を訪問し厳かに行うことが原則になっています。 その為にお祭りのような大勢が集まってワイワイするものではありませんし、従って、会場の楽しみや露天商などはありません。「じゃんがら」は「自安我楽」とも記して、
「自ら安すんじながら我も楽しむ」という意味があります。 浴衣姿の若い衆達が、鐘と太鼓と独特の踊りで、仏さん(庶民を含めて)を慰めるのです。そして、いわき市内や地方では、単に「じゃんがら」と呼んでいて親しまれ、主に旧盆の毎年8月13日から16日までの4日間行われ、いわきの夏のイベント、風物詩として知られる。いわき市の代表的な「無形民俗文化
財」にも指定されているのです。画像はイメージです。
アクセスは?
お問い合わせは、いわき市総合観光案内所0246-23-0122
一般社団法人 いわき観光まちづくりビューローへ0246-44-6545
首都圏からですとJR常磐線の湯本駅、いわき駅、其れに車ですと常磐自動車道のいわき湯本IC、いわき中央ICになり、時間的にはどちらも2時間少々になります。
まとめ
「じゃんがら念仏踊り」を当地方に広めたとされる高僧・祐天上人は、実は当地出身でもあり幼少の頃は東京芝の増上寺や成田山新勝寺に参詣し修行したとされています。以後は其の力量を発揮しながら往年は徳川将軍家の信頼を受けて増上寺の法主にもなった人物とされています。尚、祐天上人は現在の目黒区の祐天という地域で入滅したとされて、現在でも私鉄の駅名でも知られる祐天寺駅があり其の近くには弔った「祐天寺」もあり、そして其の地域の町の名前として目黒区祐天町というところもあります。