2018年10月27日 夕方6時頃から夜10時まで参加しました。長野岩戸神楽は、江戸時代に長野城主長野越前守惟久の曾孫、長野九郎左衛門が諸国を巡り、全国に伝わる神楽を見聞して帰った後、宮中雅楽や舞楽などの要素も合わせて様式を作り出したのが元と言われています。そのため、長野岩戸神楽
歴史は長く、子供相撲?豚汁?
は三百数十年の歴史を持ちます。現在、三十三の演目が受け継がれています。熊本地震前は演目を受け継ぐのは南阿蘇村長野地区の子供たちに限られていました。しかし、熊本地震で長野地区が大きな被害を受け、人口流出が目立つため、現在は希望者には地区を問わずに伝えられています。2018年
のお祭りでは、震災復興支援として、徳島県阿波人形浄瑠璃の中村園太夫座が加わりました。中村園太夫座も、江戸時代から活動している阿波人形浄瑠璃の一座です。その賑わいを期待して、2018年のお祭りでは、例年以上に出店が多く出ました。新米のおにぎりは例年も出ていましたが、豚汁も販売
されました。長野地区の婦人会の協力で出されたもので、売り上げの一部は寄付に回されます。会場には、夕方6時前から人が集まりだしましたが、7時にはぎゅう詰め状態でした。司会は例年、村岡章子さんが務めています。現在、神楽は神楽殿で奉納されています。神楽殿は、長野地区の住民が毎週
日曜日に掃除をして管理に努めています。神楽殿が作られたのはバブルの頃です。それ以前は、隣接する長野神社で行われていました。古くからのファンの中には、「古びた神社で裸電球で舞う神楽が良かった」という声も聞かれます。ただし、地元住民にとっては、自分たちの大切な神楽が、立派な建
物で奉納できるということで、神楽殿が出来たのを喜んでいます。三十三座あるうちの10座ほどが祭りでは奉納されます。個人的に好きなのは、中学生が舞う「大神(だいじん)」です。若々しい力がみなぎり、過疎化が進む南阿蘇村長野地区に華が蘇るようです。神楽殿は吹き抜けなので、演目が進
むにつれて夜気がしんしんと身にしみます。集まった人たちの発する熱気が、温もりに感じられ、いかにも村祭りという雰囲気が漂います。現実的には厚手のコートを着ていくのが正解です。神社の境内では、子供相撲が開かれています。こちらも灯はあっさりとしたものなので、鄙びた感じが好きな
人には懐かしい感じがします。クライマックスは「天皇しめ」です。4本の綱だけで立っている青竹が、神楽殿の前庭に設置されています。そこに大の男が登っていきます。その姿は、「神さま」の降臨を思わせる身軽さです。「神さま」は青竹のてっぺんまで登ると、餅をばら撒きます。集まった観客
は我先に拾います。その餅を食べると良いことがあると考えられています。青竹は綱だけで支えられています。震災直後のお祭りで綱の1本が途中で外れてしまったことがあります。竹は大きく傾き、集まった観客はどよめきました。しかし、「神さま」は一瞬姿勢を崩したものの、無事に降りてきまし
た。その緊張感と安堵感が、観客に共有され、一体感が生まれたのを今でもよく覚えています。2019年は10月26日土曜日午後5時から9時ころまでの開催です。進行によって終わりがちょっと変わるかもしれません。画像はイメージです。
アクセスは?
熊本県阿蘇郡南阿蘇村長野542 神楽の里公園
お問い合わせは、一般社団法人 みなみあそ村観光局:0967-67-2222
JR豊肥線「肥後大津駅」から車で約35分。(JR豊肥線は現在、「肥後大津駅-立野駅」間が不通です)臨時バスは運行されていません。交通規制はありません。神楽殿の周辺に、当日は臨時駐車場が設置されます。
まとめ
長野岩戸神楽は、人口減少に悩む長野地区にとって、地区が活気を取り戻す唯一の希望になっています。熊本地震で過疎化に拍車がかかり、地区が盛り上がれる唯一のイベントが長野岩戸神楽秋季大祭です。熊本地震後、未だに鉄道が復旧せず、道路も寸断されていますが、神楽殿への道だけは整備され
ました。長野岩戸神楽は、寒空に笛や太鼓の音が流れ、村人が「神さま」になる行事です。熊本に関心がある人、神楽に関心がある人にぜひ観ていただきたいお祭りです。